【写真】サイゴンでの処刑【ピューリッツァー賞】

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エドワード・アダムズ(AP通信) “サイゴンでの処刑(Execution on The Road)” 1969年 ニュース速報部門

1968年のベトナムの旧正月、南ベトナム解放民族戦線の激化により、ベトナム全土の戦闘が激化した。解放軍はサイゴンのアメリカ大使館に侵入し、攻撃を行った。アメリカでは反戦デモが頻発し、終わらないベトナム戦争への批判が続いていた。カメラマンのエドワード・アダムズはベトナムに派遣され取材を行っていた。アダムズは3回目のベトナム取材であり、朝鮮戦争なども取材していた経歴から高い評価を受ける有名なカメラマンであった。彼がベトナム入りしたアダムズはチャイナタウンのチェロンで行われている戦闘を取材しに向かった。
チェロンでは解放軍により仏塔が占拠されたが、ベトナム海兵隊により奪還されていた。戦闘の終わった現場から立ち去ろうとしたアダムズは近くで銃声が聞こえ、現場へ向かった。銃声のした場所では解放軍の潜入者と南ベトナム軍の兵士が撃ち合いをしていた。2人の南ベトナム軍の兵士は解放軍の男を建物から引きずり出し、アダムズの近くまで来た。その時、アダムズが3人の方にカメラを向けると、兵士たちの横から一人の男が現れ、解放軍の男に銃を向けた。銃を向けた男は、南ベトナムの警察庁長官グエン・ゴク・ロアン中佐であった。ロアン中佐はカメラの前で躊躇いなく銃を撃ち、その瞬間をアダムズは撮影した。その後、ロアン中佐はアダムズのところに来て「奴らは私の仲間を大勢殺した。あなたの仲間もだ」と言ってその場を去った。
後にロアン中佐は陸軍准将まで昇進しする。アダムズとも戦争末期に知り合い、写真のフィルムを没収することが出来たが、ロアン中佐はそうすることはなかった。ロアン中佐は撮影したアダムズを責めることなく、彼が撮らなくてもいつか誰かに撮られていただろうと語っている。この写真は世界へ発信され、ピューリッツァー賞を始め、数々の賞を受賞した。

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