『六十余州名所図会』 歌川広重

『六十余州名所図会』(ろくじゅうよしゅうめいしょずえ)は、歌川広重による日本全国の名所を描いた浮世絵木版画の連作。目次1枚と名所絵69枚の全70枚から構成される。

 

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『六十余州名所図会 山城 あらし山 渡月橋』

嵐山は京都の西に位置し、平安時代より貴族たちの遊び場になった名所・旧跡が点在している。本図は、桜が咲き誇る嵐山を背景に渡月橋が描かれている。細かく見ていくと、山の中腹に戸無瀬滝が見え、渡月橋の先には法輪寺に続く街道が見える。

 

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『六十余州名所図会 大和 立田山 龍田川』

現在の龍田川は法隆寺や中宮寺のある斑鳩町まで流れて大和川と合流する。龍田神社や龍田公園は現在でも紅葉の名所として親しまれている。本図でも川を挟んで対岸の竜田社本宮、周辺の山々まで描かれているが、紅葉を描き加えることで文学的情趣を加えている。

 

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『六十余州名所図会 河内 枚方 男山』

枚方は大阪府の北部に位置し、京都府八幡に隣接する。本図では淀川を遡った山城国に接する国境の風景が描かれている。背景に鎮座するのは男山が画面全体に迫力を与えている。広重は本図の参考に『山水奇観』の「河内枚方」を用いている。

 

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『六十余州名所図会 和泉 高師のはま』

高師は高志、高石とも言われる。現在の高石市は大阪湾に面し、熊野街道と高野街道に通じたことから古くから人の行き来が多かった場所である。本図でも広大な大阪湾が一望でき、右背景には兵庫県方面の山々も続いている。手前に見える社殿と鳥居は地名の由来ともなった高石神社である。

 

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『六十余州名所図会 摂津 住よし 出見のはま』

住吉は古くは墨江といわれ、重要な港があった。本図では中央左に綺麗な反り橋が架かり松原から浜に出る人が描かれている。浜には茶屋が並び、住吉神社への参詣の賑わいが感じられる。中央では航行の安全の為に高燈籠が建てられている。

 

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『六十余州名所図会 伊賀 上野』

伊賀の町は忍者と芭蕉で有名だが、広重も感じ入るところがあったようで本図で名所として描き残している。奥に見える伊賀城に向かって田舎道が伸び、茶屋や橋が描かれている。旅人などが描かれているが、皆伊賀城から出掛けているように手前に向かって歩いていることから、奈良(伊賀)街道を歩いて京都方面に向かう人が多かったのではないかと想像できる。

 

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『六十余州名所図会 伊勢 朝熊山 峠の茶屋』

伊勢と鳥羽の間にある朝熊山は、標高が555mの霊山である。本図は朝熊山の頂上近くの茶屋と伊勢湾の風景である。お伊勢参りの人々の行き交いの画面下に、大きく開けた伊勢湾の景色を画面上に配置するダイナミックな構図が魅力的である。中景に山々の連なりを描くことで伊勢湾までの遠近感を表現しているのも巧みである。

 

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『六十余州名所図会 志摩 日和山 鳥羽湊』

日和山は鳥羽湾を望める標高68mの小さな山である。小さいながらも山頂から太平洋の島々が一望でき絶好の展望台として知られていた。鳥羽湾は江戸と大阪を行き来する船の寄港湾でもあり、本図内にも船が多く描かれている。

 

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『六十余州名所図会 尾張 津嶋 天王祭り』

津嶋の天王祭りは、旧暦の6月14、15日に行われ、日本三大川祭りの一つとして賑わった。現在でも7月の第4土曜日に行われ、提灯が飾られた車楽船が闇夜に浮かび上がり華やかな風景が見られる。本図でも祭りの様子が描かれている。しかし、船の中央に伸びる真柱の飾り提灯が通常では1年の月の数である12個のはずが、13~17と適当に描かれていることから広重本人は天王祭りに詳しくなかったことが分かる。

 

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『六十余州名所図会 三河 鳳来寺山厳』

鳳来寺は、愛知県新城市の鳳来寺山の山腹にある古寺である。本図では鳳来寺の建物はあまり主張せず、背後に見える壮大な山々に視点を向けている。広重は特に雲間に隠れる山間の景色と、頂上に続く1425段の石段が気に入ったようで丁寧に表現されている。

 

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『六十余州名所図会 遠江 浜名之湖 堀江舘山寺 引佐之細江』

遠江は、京に近い湖の琵琶湖「近淡海」に対して、遠い湖・浜名湖「遠淡湖」を指した名称である。本図では左側に舘山と舘山寺が見える。中央の浜名之湖はS字に大きく迂回しながら描かれており、全体の構図が美しく構成されている。

 

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『六十余州名所図会 駿河 三保のまつ原』

三保の松原は、駿河湾に面して長くせり出した陸地で、白い砂浜に青い松の色彩が素晴らしい名所である。本図では、駿河湾に伸びる松原とその延長線上に見える富士のバランスが素晴らしい。また湾に浮かぶ小舟の帆が風を伝えてくれる。

 

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『六十余州名所図会 甲斐 さるはし』

山梨県大月の猿橋は、長さ31mで桂川に架けられた小さな橋である。岩国の錦帯橋、木曽の桟橋に並び日本三奇矯に数えられ、独特の橋脚が魅力的である。本図でも橋の特徴をよく現すように低い視点から描かれており、上空の猿橋と下の桂川の荒々しい流れがバランス良く配置されている。

 

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『六十余州名所図会 伊豆 修禅寺 湯治場』

修禅寺温泉は、807年に弘法大師が開いたとされる歴史ある温泉である。広重は本シリーズを描く際に『山水奇観』を参考に描いているが、例外的に気に入った場所を追加して描いており、本作品も広重が新たに加えて描いた場所である。画面中央の湯治場の建物を細かく表現し、急流の川と共に賑やかな雰囲気が伝わってくる。

 

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『六十余州名所図会 相模 江之嶋 岩屋ノ口』

江ノ島は満潮時に画面中央の砂州が水面下に消えてしまう為、当時の人々は引き潮を見計らって歩いて渡っていた。本図でも箱根を目指す旅人が、荒波に晒されながら歩いている風景が描かれている。荒々しい波とゴツゴツとした岩肌が旅の苦難を伝えている。

 

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『六十余州名所図会 武蔵 隅田川 雪の朝』

現在では積雪が珍しい都心であるが、『江戸名所花暦』(文化10年)には、隅田川は雪の名所として記されている。本図では、一面の雪景色に青く澄んだ隅田川が栄える作品である。また背景の赤く染まった空は、朝焼けを表現し、色数を抑えた画面全体が静かな早朝の雰囲気を感じさせてくれる。

 

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『六十余州名所図会 江戸 浅草市』

本図では浅草寺の境内で行われた歳の市の様子を描いている。歳の市は、毎年12月17、18日に行われ、注連飾りや蓬莱飾物などの年始の準備品が売られている。本シリーズで最も画面内の人が多く、市の賑わいが一目でわかる。画面下の込み合った様子に一転して、上空では深々と雪が降り感慨深い作品である。

 

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『六十余州名所図会 安房 小湊 内浦』

小湊は、日蓮上人誕生の地で、上人に由来するさまざまな場所である。中央左上に一際大きな建物が見えるが、これは上人誕生を記念して建立された誕生寺である。画面中央では内浦湾に小舟が優雅に浮かんでいるが、帆を見れば風の方角が分かる。広重は船の帆や水の表現で、風などの見えない力を可視化することがよくある。

 

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『六十余州名所図会 上総 矢さしか浦 通名九十九里』

九十九里浜は、形部岬から太東崎まで広がる66kmの砂浜海岸で、現在では海水浴場として賑わっている。江戸時代では、地曳網漁が盛んで、主に鰯が獲れた。本図でも漁師たちが力を合わせて網を曳く姿がメインで描かれているが、漁師たちの力ない姿に広重の想像で描いたものではないかと言う説もある。

 

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『六十余州名所図会 下総 銚子の浜 外浦』

題名に外浦とあるが、現在そのような呼称はなくなっている。しかし、本図を見ると画面右に屏風ヶ浦の奇岩(四角い岩)が描かれているので銚子市犬若の付近だと分かる。中央には千騎岩と称される反り立った大岩が描かれている。この二つの奇岩と打ち寄せる大波の迫力が魅力である。

 

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『六十余州名所図会 常陸 鹿嶋大神宮』

鹿嶋神宮は神武天皇18年の創建と伝えられ、武士からの信仰が篤かった。本図では、海に突き出した鹿島神宮の一の鳥居が描かれているが、細かな部分(鳥居の横木が飛び出ていない)での間違いがあり、広重が実際に本地を訪れたかは怪しい。

 

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『六十余州名所図会 近江 琵琶湖 石山寺』

近景には茶屋の賑わう姿、遠景に瀬田の唐橋が描かれた満月の夜の琵琶湖の風景。近くの景色を細かく描き、背景には雄大な山々の連なりを描いている。しかし、肝心な石山寺が描かれていないが、画面左に見える断崖が石山寺へと続くことを暗示しており、広重の遊び心が感じられる。

 

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『六十余州名所図会 美濃 養老ノ滝』

養老の滝は、孝行息子の孝心により滝の水が銘酒に変わったという言い伝えがある。本図では大きな滝に見えるが、実際の養老の滝は幅4m程度でそこまで大きくはない。垂直の滝が強調され、周囲の景観も必要最低限に抑えてあるなど、意図的に滝を大きく見せているような描き方である。本シリーズではこのような構図は珍しいが、『名所江戸百景 神田明神曙之景』や『名所江戸百景 王子不動之滝』などでも見られるものである。

 

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『六十余州名所図会 飛騨 籠わたし』

飛騨地方は、山奥にあり橋を架けることが困難な場所が多くある。そのため、渓谷の間に縄を渡し宙づりにした籠に荷物や人を載せる「籠渡し」が行われていた。本図では、貴重な「籠渡し」の風景が忠実に描かれ、縄のたるみが不安定な「籠渡し」をよく表現している。周りには茶屋があり、順番を待つ人の様子も見られる。

 

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『六十余州名所図会 信濃 更科田毎月 鏡台山』

田毎の月とは、棚田に映る月の事であり、長野盆地の姨捨山を中心とする更科の地は田毎の月の名所である。画面中央に綺麗な満月、右側に青い棚田と反射する月、左側には千曲川が描かれている。棚田を中心とした構図でありながら、メインを右側半分に集中させ、左側のモノトーンの背景と対比させる描き方は奇抜でありながら美しい。また、本図は参考になった図版見つかってないことから、広重自身が訪れて描いたと思われる。

 

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『六十余州名所図会 上野 榛名山雪中』

榛名山は群馬県群馬郡榛名町に位置する。有名な伊香保温泉がこの地から湧き出ており、現在も訪れる人が多い地域である。本図には雪中の榛名富士とその周囲が描かれている。特に目を引くのは中央の朱色の建造物であるが、橋は「神橋」、建物は十一観音像を安置したと伝えられる「東面堂」である。また中央左に一際異彩を放っている渦巻く奇岩は、「地蔵岩」と「葛籠岩」と『山水奇観』に記されているが、現在では該当するものは分かっていない。

 

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『六十余州名所図会 下野 日光山裏見ノ滝』

裏見の滝は、栃木県日光市安良沢にある荒沢滝。落差は45m、幅2mの小さな滝であるが、滝を裏側より見れる事から「裏見の滝」と呼ばれるようになった。本図でも遠くより流れてくる水が勢いよく流れ落ちている中、物珍しそうに旅人が裏側を通っている。滝の流れる先に霞みをかけることで、滝壺が見えず延々と続くかのように描かれている。

 

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『六十余州名所図会 陸奥 松島風景 富山眺望之略図』

松島は、松島湾に浮かぶ260の島々からなり、海から突き出した様々な島が見せる風景は日本三景の一つに数えられる。本図でも小さな島が点々と松島湾に浮かび、丁寧に名称まで書きこまれている。松島湾の青を背景に、各島の形と名前を目で追うことで松島全体の風景が感じられるような構成になっている。

 

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『六十余州名所図会 出羽 最上川 月山遠望』

「五月雨を あつめて早し 最上川」と芭蕉が句を詠んだことで有名だが、句でもあるように日本三大急流に数えられる。本図では山形城下に近い場所から西北の方を描いた図である。最上川を航行する小舟が多く描かれているが、現在でも川下りが行われており昔から変わらない風景である。

 

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『六十余州名所図会 若狭 漁船 鰈網』

若狭の小浜は日本海側では有数の漁港として栄え、若狭湾を中心に漁業が盛んな地域であった。古くから京都と陸路で結ばれていたため若狭街道は「鯖街道」と呼ばれ、京都へ魚を卸す重要な土地であった。本図では小舟から手繰網で鰈やカニをとっている場面が描かれている。鯖に並び鰈もこの地の特産であった。

 

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『六十余州名所図会 越前 敦賀 気比ノ松原』

敦賀は、敦賀湾を擁し天然の良港が造られた。古代から朝鮮半島や中国大陸との交流が盛んで、使節を迎える為の「松原客館」が置かれるなど、海陸交通の要地であった。本図は、敦賀湾の最も奥に位置する気比ノ松原が描かれている。

 

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『六十余州名所図会 加賀 金沢八勝之内 蓮湖之漁火』

蓮湖は、金沢市と河北郡にまたがる河北潟のことで、広域で生息していた鬼蓮から蓮湖と呼ばれた。海水が浸入する気水湖であり、魚の種類が豊富で漁業が盛んであった。本図では、漁船が火を焚いていることから、夜の漁の風景である。陸路では小島へ小さな橋が架かっている。本図の景色は広重が本地を訪れておらず、何を参考に描かれた物か定かではない。

 

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『六十余州名所図会 能登 滝之浦』

能登半島は富山湾と日本海に挟まれた突端の半島で、富山湾川を内浦、日本海側を外浦と呼び、対称的な風景が見られる。本図は、日本海側の景色で、荒々しく浸食された奇岩が描かれている。奇岩の下は波に抉られて高さ15m、幅6mの洞門を作っており、非常にダイナミックな表情を見せている。

 

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『六十余州名所図会 越中 冨山 船橋』

富山湾に続く神通川は、川幅が広く流れが急である。対岸に橋を渡すのが困難であったが、北陸街道の発展により橋の需要が高まり、船橋が架けられた。船橋は、数十隻の船を鎖でつなぎ両岸の大柱に縫い付けて造られる。鎖の真ん中には錠がしてあり、洪水の時には錠を外して橋を左右に分解させたと言われている。本図では、50を超える船が弧を描くように浮かび、両岸の巨岩に結び付けられてある。何とも珍しい橋であるが、力学的な美しい曲線(カテナリー曲線に近い)が見事である。

 

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『六十余州名所図会 越後 親しらず』

親不知は、新潟県糸魚川市青海から市振までの10km程度に及ぶ海岸線にあり、断崖が海に落ちると形容されるほど高く険しい。旅人にとっては難所の一つであった。本図では荒れ狂う海を画面下半分、絶壁の岩肌を画面上半分に据えている。その間を旅人が通行しているが、何時、波にさらわれてもおかしくない緊張感が伝わってくる。

 

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『六十余州名所図会 佐渡 金やま』

日本海に浮かぶ佐渡島は、金銀を産出し、幕府のあった江戸まで航路で運んで発展した。特に、金の産出は幕府の財政を助け、慶長6年が産出量の最盛期であったがその後も長く幕府を支え続けた。本図では、3つの坑道があり、右から風廻し口、四つ留口、大切口と呼ばれていた。坑道から流れる水は、湧き出た地下水で、この水を汲み上げて外に出すのは大変な重労働であったという。

 

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『六十余州名所図会 丹波 鐘坂』

鐘が坂は、谷深くの交通の難所として有名であったが、明治以降は整備されて、現在は国道が通る場所である。この場所には、「鬼の架け橋」と呼ばれる奇岩があり、大江山の鬼がこの橋を渡って京都まで行き来していたという逸話が残っている。画面左上にある二つの岩に架かる「石梁」と書かれているのがその鬼の架け橋と呼ばれる場所である。旅人は、鬼の架け橋を横目に厳しい峠を越えるのである。

 

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『六十余州名所図会 丹後 天の橋立』

日本三景の一つである天の橋立。日本三景は元々、江戸時代の儒学者林春斎が全国を歩いて記した『日本国事跡考』に登場する絶景三カ所をあげたもの。天の橋立は、野田川と宮津湾からの押し返しによりできた全長3.6kmの砂州である。本図では、この奇観を中央に配し、左右には船や波が僅かに雰囲気の違う海を描いている。砂州には、両端に打ち寄せた砂の白が塗られるなど細かな部分も描きこまれている。

 

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『六十余州名所図会 但馬 岩井谷 窟観音』

本図は、『山水奇観』を参考に描かれており、実際に描かれた岩井谷の場所は2つの説がある。一つは、但馬の国と県境の牛ヶ峰山の峡谷付近とする説。もう一つは兵庫県朝来市の渓谷辺りであるという説。しかし朝来市には、行者岳があり、山中には岩屋観音があることから、朝来市であるというのが有力視されている。本図内でも切り立った岩肌と長い階段の上にある観音がしっかりと描かれている。

 

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『六十余州名所図会 因幡 加路 小山』

小山とは、鳥取県鳥取市湖山町にある千代川河口西岸の湖山砂丘周辺の地名である。本図にも見えるように湖山池には青島、猫島などと呼ばれる無数の島が浮かび、周囲16kmにもなる日本最大の池である。手前には、松と楓の木が大きく描かれるという大胆な構図であるが、このような構図は後の「江戸名所百景」に続く、広重の特徴的な構図となる。

 

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『六十余州名所図会 伯耆 大野 大山遠望』

大山は、標高1711mの中国地方最高峰の山で、現在でも紅葉や雪景色の名所として知られている。本図では、背景の大山よりも、雨の中で田植えに勤しむ人々が中心に描かれている。本シリーズでは、自然の景色を主題に置いて描かれているが、中国地方はその地に住む人々を主題にした作品が多くなっている。

 

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『六十余州名所図会 出雲 大社 ほとほとの図』

ほとほととは、小正月に神が人々を祝福するために来訪するという信仰から生まれた行事で、正月14日の夜に顔を隠した若い人が各戸を訪ねて、お供え物を受け取るというものである。本図では、お供え物を貰いに若い女性たちが出掛けている姿が描かれ、手には注連飾りが握られていることから、既に何軒か回っているのが分かる。

 

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『六十余州名所図会 石見 高津山 汐浜』

題名にある高津山は、高角山の音読みに文字をあてたものだと考えられている。本図の、画面左側に山が描かれ、その麓にある鳥居は万葉集の柿本人麻呂が祀られている人丸社のものである。津和野藩は海と接していたことから塩業が盛んであったことから中央の人々は、塩焼きをしている様子が描かれている。

 

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『六十余州名所図会 隠岐 焚火の社』

焚火の社とは、現在の焚火神社のことで隠岐諸島の西ノ島の焼火山の頂上近くにある。本図では、焚火神社への献灯の儀式の様子が描かれており、焚火神社は鳥居と参道までしか見えない。右側に見える帆船は画面に収まらないほど大きく、本シリーズでは最大の船だと考えられる。

 

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『六十余州名所図会 播磨 舞子の浜』

舞子の浜は、神戸市の南西部、垂水区にある浜で、海岸を覆う松樹の美しさが有名な場所である。現在では、明石海峡大橋が架橋され昔とは様子が変わっている。本図では、荒々しく伸びた松の木が海岸線を覆い尽くしている。画面中央に人が描かれているが、松と比較するとどれほどの巨木だったかが分かる。

 

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『六十余州名所図会 美作 山伏谷』

本図は、詳しい場所が判明していない作品である。参考にされた『山水奇観』では「津山川」と「地蔵岩」の記載があるが細かな地域の特定には十分な資料とはなっていない。しかし、画面を斜めに覆う雨と風の表現は、この地が激しい気候の中にあったことを教えてくれる。また、旅人達が雨笠を飛ばしながら行き交う様子を見れば、旅路の重要な場所であったこと、と同時に難所でもあったことが分かる。

 

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『六十余州名所図会 備前 田の口海浜 瑜伽山鳥居』

瑜伽山は鎌倉市児島由加にある標高270mの山である。瑜伽山に至る緩やかな登りの参道には、名産の組紐や真田織を売る店が多く並び賑わっていた。本図では、海に浮かぶ鳥居と、背後には店が並んでいる。本シリーズでは、厳島神社を描いたものなどで海に浮かぶ鳥居が描かれているが、どれも斜めからの構図で背景とのバランスを取るように描かれている。

 

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『六十余州名所図会 備中 豪渓』

本図は、総社市の近くで槇谷川の高梁川に合流する地点より上流5kmほどにある豪渓である。激しい川の流れが両岸を侵食し、荒々しく抉られた奇岩を作り出した。行き交う人は物珍しそうに急流を眺めたりしているが、秋には紅葉の名所としても有名だった為、人通りは多かったのではないかと思われる。

 

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『六十余州名所図会 備後 阿武門 観音堂』

本図は、福山市の南方、沼隈町にあり、阿伏兎の瀬戸と呼ばれる田島との間にある幅500mの海峡である。潮流が速く、航行の安全を祈願する為に阿伏兎岬の突端に盤台寺が立てられた。画面内でも分かるように非常に不安定な岩肌に建てられている為、それ建物自体も素晴らしいが、観音堂からの景色は絶景と称えられた。

 

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『六十余州名所図会 安芸 厳島 祭礼之図』

日本三景の一つである厳島神社の鳥居は、神社と共に足元が海に晒されていることで有名である。度重なる災害に耐え抜き、現在では世界遺産として観光の名所とされている。本図では、旧暦6月17日に行われる「夜船管弦」と呼ばれる祭礼の一幕を描いている。鳥居は三本に分かれた足元の大柱がメインに鳥居の半分だけが描かれ、全体図は想像で補完されるという広重が得意とした手法で描かれている。

 

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『六十余州名所図会 周防 岩国 錦帯橋』

錦帯橋は、岩国城と城下町の間にある錦川に架けられた橋。当初架けられていた橋が再三流されてしまったことから、強固な橋が必要になり、石造の橋脚を持つ5連アーチの錦帯橋が架けられた。画面上でも5つの橋が確認できるが、中央3つは懸垂曲線のアーチで、その美しさから観光の名所としても知られる。

 

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『六十余州名所図会 長門 下の関』

山陽道の西端にある下関は、関門海峡を挟んで九州に繋がる。古くから海上交通の要として機能し、輸送船の寄港地として「西の浪華」と呼ばれるほど繁栄していた。本図でも、停泊中の輸送船とそれを珍しそうに近づく小舟が描かれている。また、中央上の小島は、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘をしたことで有名な巌流島である。

 

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『六十余州名所図会 紀伊 和哥之浦』

和歌浦は大阪に接する和歌山市南部にある。本図では、和歌浦の入江から、遠景の小島までが中心に描かれている。小島は妹背山と呼ばれ、三断橋で内陸と結ばれており、対岸には紀三井寺の拝殿である観海閣と海禅院の多宝堂が建てられている。上空を優雅に飛ぶ鶴は、万葉集の歌人山辺赤人の歌に因んで描かれている。

 

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『六十余州名所図会 淡路 五色浜』

五色島は淡路島の西岸、播磨灘に面した津名郡五色町にあり、現在は海水浴場や夕陽の名所として知られている。本図では、五色浜で行われる漁をメインに描かれている。漁は海面に張った網を両端から引っ張る振網漁と呼ばれるもので、両端の漁師たちが服の色で分けられているなど漁の様子が細かく描かれている。

 

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『六十余州名所図会 阿波 鳴門の風波』

現在の鳴門海峡は、1985年に開通した大鳴門橋により、難なく淡路島へ行くことが出来る。本図では、鳴門の大渦を描いているが、当時からこの地域の海流が激しかったことが分かる。この大渦を表現する為に、葛飾北斎の『冨嶽三十六計 神奈川沖浪裏』を参考にしていると言われている。

 

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『六十余州名所図会 讃岐 象頭山遠望』

琴平山は、象の頭を模したような形態から象頭山と呼ばれる。琴平山の山腹には、金刀比羅宮の社殿が建ち並び、伊勢参りと同じように一生に一度は金比羅参りをしたいと言われるほど有名な場所であった。本図では、山登りをする旅人が描かれているが、白装束の参詣者がいることから金比羅参りの一行であると想像できる。

 

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『六十余州名所図会 伊予 西条』

西条は、松平家が藩主となり明治までの200年間、松平3万石の城下町として栄えた。本図で、中央左に三層の城が建ち並んでいるが、実際にはこのような立派な城ではなく、陣屋のような規模のものだったと言われている。背景に一際大きく描かれている山は、標高1982mで西日本最高峰の石鎚山である。画面手前に帆を描くことで、舟からの景色であると想像できると同時に、西条までの遠近感を表現している。

 

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『六十余州名所図会 土佐 海上松魚釣』

土佐の高知沖は、黒潮に運ばれてくる鰹が多く、鰹の漁獲量は日本屈指の地域であった。藩主山内氏が鰹節を贈答品として各所に贈ったことで土佐の特産物としても有名になった。本図では、小舟に乗った数人の漁師が勢いよく鰹を釣り上げる風景が描かれているが、揺れる波の表現と水面に顔を出す鰹の描写が漁の活気を伝えてくれる。

 

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『六十余州名所図会 筑前 筥崎 海の中道』

玄界灘に突き出した砂嘴は、荒波を受け止め、穏やかな博多湾を作った。画面の上が博多湾、下が玄界灘で、2つの海を分ける砂州は長さ12kmにもなった。現在は、住宅や観光施設が多いが、当時は鳥居が置かれ志賀海神社の入口であった。

 

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『六十余州名所図会 築後 簗瀬』

題名の簗瀬とは、漁法のことで、画面中央右のような竹で編んだ柵の仕掛けに魚を誘導するもの。川の全域に罠を張るのではなく、縦に2つに分け片方に罠を仕掛け、片方は船の通路にする為、本図の様な土波を築いている。この地の伝統的な漁法が、景観の大事な要素になっていることが分かる。

 

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『六十余州名所図会 豊前 羅漢寺下道』

中津市は、福岡県と大分県の境目に位置し、南部に名勝・耶馬溪を控える。羅漢寺下道とは、羅漢寺に至る道で、菊池寛の小説『恩讐の彼方に』の舞台になったことでも知られる。岩が削られたトンネルの様な道は、ノミと槌だけで工事され、完成まで30年かかったと言われる。その独特の景観を丁寧に描写し、行き交う旅人まで描かれている。

 

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『六十余州名所図会 豊後 蓑崎』

国東半島の南部に位置する杵築は、杵築城を中心に武家屋敷や豪商の家が多く、現在でも古い街並の面影を残している。その杵築城の前にある守江湾の東にある岬が蓑崎と呼ばれ、現在は美濃崎と表記される。守江湾を区切るように砂嘴が伸び、白浜に松原が続く風景は美しい。本図では、砂嘴に打ち寄せる波の白が、山まで続く灰色の陸地に対比し美しい。

 

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『六十余州名所図会 肥前 長崎 稲佐山』

長崎港は土砂が堆積し、明治以降は埋め立てにより江戸時代の美しい海岸線は失われてしまった。海外貿易の象徴であった出島もこの時に周囲を埋め立てられた。本図では、長崎港の独特の海岸線が描かれ、当時を知る貴重な資料となる。また海岸線にこそ船が描かれていないが、手前のマストでこの地が交易船で賑わっていたことが想像できる。

 

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『六十余州名所図会 肥後 五かの庄』

五家庄とは、椎原、仁多尾、樅木、葉木、久連子の五集落の総称であり、現在の熊本県八代市泉町にあたる。1000mを越える山々に囲まれ、秘境と呼ぶにふさわしい場所である。本図でも、崖に生えた木がそのまま橋になった珍しい場所が描かれているが、この風景は北斎の『北斎漫画』に出てくる五かの庄を参考に描かれている。

 

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『六十余州名所図会 日向 油津ノ湊 飫肥大嶋』

日南市の東部、日向灘に面する油津の港は、古くは大陸との交易の中継地として栄え、江戸時代には飫肥杉の積み出しで賑わった。本図では、油津港を一望しながら、港に入る交易船や建物、海岸線から山までの周囲一帯が描かれている。

 

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『六十余州名所図会 大隅 さくらしま』

桜島は、現在でも火山活動が活発で降灰の被害を及ぼしている。本図を見れば、山の麓の桜の風景が描かれているが、桜島の由来が桜の名所だったと言う広重の説は誤りである。また、構図を気にするあまりに、桜島を左寄りに配置し、全景を捉えなかったことは、桜島の美しさを減じてしまっている。

 

 

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『六十余州名所図会 薩摩 坊ノ浦 双剣石』

鹿児島県の西南端に位置する坊津は、東シナ海に面し、古くから中国との交易の拠点として栄えた。江戸時代は貿易が長崎のみに制限されたが、ひっそりと貿易が続けられていたが徐々に衰退していった。本図では、海に山々が迫るリアス式海岸の風景が描かれている。岩が海から生え出たような独特風景は、この地の名物の一つであり、画面下のように小舟で遊覧して見て回る人がいたようだ。

 

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『六十余州名所図会 壱岐 志作』

壱岐は、弥生時代の一支国が由来と言われるように古い歴史を持ち、古墳などの遺跡が多くある。志作は、壱岐にはなく長崎県松浦市志佐町にあると言われている。本図の景色は、壱岐の資料が少なかったため、北斎の『北斎漫画』から引用したものをそのまま描き直したと考えられるため、地名と場所などの誤差が生まれている。また、北斎の構図をそのままに一面を雪景色に描き直した為、温暖な気候にそぐわぬ景色となったが、絵的な美観が優先されており、美しく仕上がっている。

 

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『六十余州名所図会 対馬 海岸夕晴』

対馬は、南北82km、東西18kmと細長いリアス式海岸で形成されており、風光明媚な景色が魅力的であった。また、晴れた日には目視できるほど朝鮮半島と近く、大陸との交流で重要な役割を果たしていた。本図では、対馬の入り組んだ海岸に無数の船が描かれており、海路が賑わっていたことが分かる。上空には虹が描かれているが、現在のようなカラフルなものでないのがまた味わい深い。

 

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目録

大日本六十余州名勝図会
一立齋廣重画

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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