【作品一覧】マリー・バシュキルツェフ

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マリー・バシュキルツェフ(ロシア語: Мария Константиновна Башкирцева、Marie Bashkirtseff、1858年11月11日 – 1884年10月31日)は、ウクライナ出身の女性画家・彫刻家・日記作家。

 

【概要】
マリー・バシュキルツェフはウクライナの貴族の家に生まれ、幼少から何不自由ない暮らしを送っていた。しかし彼女が10歳の時に両親は別居し、母と共に暮らすことになった。母とは父と別居してすぐにヨーロッパ諸国を旅行して周り、最終的にはパリに落ち着いている。

パリでは農民画家として人気だったバスティアン・ルパージュの元で絵画を学び、制作活動を始めた。マリーは非常に短命で、25歳で亡くなっており、制作に費やした時間はたったの7年ばかりであった。しかし、7年の間に数百点の作品を残している。若くして病に悩まされたマリーは自分の死期を悟っていたかのように急速に制作を行ったのである。

マリーの画風は当時話題の印象派ではなく、自然主義的なものに近かった。これには彼女が絵画を学んだ師バスティアンの影響が少なからずあると考えられる。画才も確かで、十分な実力を示していたマリーだったが、彼女の作品が正当に評価されることは難しかった。なぜなら彼女が貴族の女性であるという偏見で作品を評価されたからである。彼女は普段からお付きの人に監視され、自由な行動をとることはできなかった。そのような雰囲気が世間には奇妙に映り、作品自体も誰かに描かせてるのではないかという風評が流れる程であった。このことに生涯悩まされ、マリーは本当の自由を欲して苦悩していた。

彼女は世間からの偏見と誤った風評を跳ね返し、一人の立派な画家として大成したいと思っていたがその願いは叶わなかった。彼女の異変は制作を始める以前、14歳の時から始まっていた。最初は軽い結核の様な症状が続いていたが、しれははっきりとした病に変わっていく。20歳になる頃には結核の影響で聴覚に障害が出始め、そのわずか4年後、24歳の時に息を引き取った。

 

【作品一覧】
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『アカデミー・ジュリアンの女性教室』

【絵画データ】
1881年作
油彩・カンヴァス
154cm×188cm
収蔵場所 ドニエポペトロヴスク美術館(ウクライナ)

アカデミージュリアンはマリーが通っていた画塾である。アカデミーは画家ロドルフ・ジュリアンが創設し、一流の講師を集め、女性にも裸体モデルのデッサンの機会があったことから女性の画家志望から人気が高かった。題材は少年の裸体モデルをデッサンしている風景。絵はしっかりとした描き込みで、印象派のそれとは似ていない。むしろ人物の表情などの細かい部分の表現力が高く、個々の動きが感じ取れる。

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『自画像』 1880年

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『秋』 1883年

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『傘』 1883年

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『集合』 1884年

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『春』 1884年

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