『自画像』
マリアンネ・ウェレフキン(marianne werefkin、1860年9月10日 – 1938年2月6日)は、ロシア生まれの女性画家。
【概要】
マリアンネ・ウェレフキンはロシアの小貴族の子供として生まれた。幼少は不自由ない生活を送っていたようである。マリアンネが芸術家として注目され始めたのはドイツのミュンヘンでの時代であった。
当時のミュンヘンは新しい文学や芸術を多く輩出し「ミュンヘンは輝いていた」と作家トーマス・マンが表現するほど活気があった。新しい時代を築こうとするミュンヘンは若い才能に寛容で、マリアンネも新たな芸術グループの一員として注目され始めた。マリアンネは30歳の時に画家のヤウレンスキーと出会い、30歳半ばでドイツに渡った。ドイツではマリアンネとヤウレンスキー、更にカンディンスキーも加えて「ロシアの3人組」と呼ばれていた。
ドイツの3人組はミュンヘンに近いムルナウを制作の拠点として活動を行っていた。その後、マリアンネはヤウレンスキーと恋人になり、カンディンスキーも画家ガブリエレ・ミュンターと結婚し2組の芸術家カップルが誕生した。彼らは1911年に「青騎士」というグループを結成し、北ドイツの「橋(ブリュッケ)」というグループと共にドイツ表現主義の形成していった。
その後、病気療養などの理由からスイスの保養地アスコナに移り住んだ。アスコナで療養中に30年付き添ったヤウレンスキーと別れ大きなショックを受けるが、幸いにもある男性と運命的な出会いを体験し、制作活動を続ける意欲が出る。晩年は作品の制作を続けながらアスコナで過ごし、1938年に没した。
【絵画データ】
1909年作
テンペラ・厚紙
52cm×80.5cm
収蔵場所 アスコナ市立美術館(スイス・アスコナ)
マリアンネのミュンヘン時代の作品。黒装束で表情のない人々が気怠そうに歩いている様子は、物悲しい町の雰囲気を現している。左右で消失点がズレた独特の遠近感が画面に変化を与えている。