マーガレット・マクドナルド(Margaret MacDonald、1864年11月5日 – 1933年1月7日)は、イギリス出身の女性画家。
【概要】
マーガレット・マクドナルドはイギリスのウルバーハンプトン近郊で生まれた。20歳の時には当時急成長していたスコットランドのグラスゴーにある美術学校に進学する。当時のグラスゴーは経済的な急成長はしたものの文化的、美術的な発展はまだまだであった。しかし、未成熟が故に自由な思想に溢れ、マーガレットも新しい芸術の道を模索することになる。
マーガレットは36歳でアール・ヌーヴォーの巨匠、建築家C.R.マッキントッシュと結婚する。マーガレットの妹フランシスも建築家ハーバート・マクネアと結婚し、この二組の夫婦は「グラスゴーの4人組」と呼ばれ注目を集めた。この4人は新進気鋭の芸術家集団としてグラスゴー市内の建築や内装を手掛けたりしていた。
彼らの芸術性にいち早く気付いたのは国境を越えたオーストリアのウィーン分離であった。グラスゴーの4人組に目を付けた分離派の面々は、ウィーン分離派展に招待しマーガレットの作品が紹介されるなどの交流があった。
マーガレットの作風はオリジナリティが高かったが、アール・ヌーヴォーの影響や浮世絵の影響が見られる。彼女は夫たちとのコラボレーションが多く、アール・ヌーヴォーなどはその中で影響されたと思われる。また型にはまらないことで浮世絵など様々なスタイルを自由に取り込めたことが彼女の画風に影響している。
その後、1900年以降はアール・ヌーヴォーの衰退と共に夫マッキントッシュの仕事も減り、夫婦揃ってロンドンに移住する。更に晩年は南フランスに新たに拠点を移し活動を続けたが夫の死と共にロンドンへ帰国しチェルシーのアトリエで息を引き取った。
【絵画データ】
1815-21年作
油彩・テンペラ
144cm×160cm
収蔵場所 個人蔵
ウィーン分離派とクリムトのパトロンであった実業家フリッツ・ウェルンドルファーが自邸に飾る装飾画として依頼した作品。題材はベルギー象徴派の詩人モーリス・メーテルリンクの「7人の姫君」であり、水中で夢想う姫君たちを抽象的に表現している。オリジナルは石膏に描かれたが、この絵は油彩によるレプリカのものである。