『キッティー・キーランドの肖像』 作者:ハリエット・バッカー
キッティー・キーランド(Kitty Kielland、1843年10月8日 – 1914年10月1日)は、ノルウェー生まれの女性画家。
【概要】
キッティー・キーランドは北欧のノルウェーで生まれた。当時の北欧三国はヨーロッパ諸国に比べ、国力も経済も遅れを取っていた。美術界も同様で、本格的に美術を学ぶためにはドイツやフランスなどのアカデミーに行く必要があった。
キッティーは30歳過ぎてから本格的に絵画について学び始める。最初は同郷の画家志望だったハリエット・バッカーと共にミュンヘンの女性のための美術学校に入学した。この学校はノルウェーの画家エイリフ・パーターセンが設立したものであった。その後、35歳の時にパリに移り住みハリエット・バッカーと共に作品の制作に奮闘した。
サロンに出展しながら徐々に画家としての地位を築いていったキッティーは、1889年のパリ万博に2点の作品を出展した。万博で展示した「日没の後」と「夏の夜」は好評で彼女の地位は更に盤石なものになった。彼女の作風は当時の主流であった印象派や新印象派などと一線を画し、写実的で情緒溢れる風景画だったことも観る者には新鮮で人気となった。
万博の少し前、1883年からパリのアカデミーで教鞭を取っており、作品制作と並行して若き画家の教育に務めた。しかし、1889年に祖国ノルウェーに帰り作品制作を続けた。その後、1900年のパリ万博に2回目の出展をし、1914年にオスロで息を引き取った。
【絵画データ】
1886年作
油彩・カンヴァス
100.5cm×135.5cm
収蔵場所 ナショナル・ギャラリー(イギリス・ロンドン)
1889年のパリ万博に出展し注目を集めた作品。制作は万博の3年前で当時のキッティーはノルウェーの首都クリスチャニア(現オスロ)の近郊フレスクムに住み、何人かの画家たちと制作を行っていた。この作品はその時に戸外で描いたものである。
題名に夜とありながら明るいのは白夜の影響であり、非常に特殊な題材と言える。北欧の昼夜を問わず明るい白夜は神秘的な現象でもあり、彼らにとっては薄暗くて終わらない昼という気怠さを持っている。その心情がキッティーの作品に現れており、非常に情緒的な雰囲気に包まれている。