【写真】銃殺隊による処刑【ピューリッツァー賞】

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匿名(UPI通信 “銃殺隊による処刑(Firing Squad)” 1980年 ニュース速報部門

1979年、イランではパフラヴィー皇帝をアーヤットラー・ルーホッラー・ホメイニーが国外追放にし、新生「イラン・イスラム共和国」の最高指導者となった。当時、イランで彼に意見することは許されず、特に文化的少数派のクルド人は経済、文化、宗教に対しての発言権を持ってはいなかった。
ホメイニーは独裁者(少なくともクルド人にとってはそうであった)として、反抗するものには制裁を加え、特に西洋の悪魔的な影響をイランから排除しようとした。クルド人は特別に西洋文化を称賛したわけではなかったが、ホメイニーにとっては彼らの生き方は自分への反逆であった。クルド人は一列に並ばされ、「民族浄化」の名のもとに虐殺された。
UPI通信のカメラマン(匿名)は1979年3月27日に、この民族浄化の処刑に立ち会った。クルド人9名は反対勢力として裁判にかけられ、有罪宣告を受けると直ちに処刑された。その瞬間を撮影した写真は、UPI通信から世界へ配信されたが、イラン政府からの報復の危険性があった為カメラマンの名前は明かされなかった。
後の2006年12月にウォール・ストリート・ジャーナル紙のジョシュア・プリージャーの記事により、カメラマンはジャハンギル・ラズミであったことが明らかにされた。しかし、ピューリッツァー賞の受賞時は名前が明かされていなかった為、史上初の匿名での受賞となった。

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