富岡鉄斎 【略歴と作品一覧】

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富岡 鉄斎

(とみおか てっさい、1837年1月25日(天保7年12月19日)- 1924年12月31日)は、明治・大正期の文人画家、儒学者。日本最後の文人と謳われる。

 


【略歴】

今日で、これほど世界的に評価されている近代日本画家は鉄斎以外はいないといってもいい。鉄斎は国内は勿論、イギリス、フランス、イタリアなどの西欧諸国から、アメリカ、ブラジルなどの諸外国で遺作展が開かれるほどに高い人気を得ている。また、鉄斎の作品に魅了された著名人は数多く、武者小路実篤、梅原龍三郎、中川一政、棟方志功、小林秀雄、谷川徹三など文学者、画家、評論家のみならず、ブルーノ・タウトなど多数の外国人からも称賛されている。しかし、鉄斎自身は生涯儒学に勤しみ、自らの事を画家と呼ぶことを非常に嫌っていた。

 

鉄斎は天保7年12月19日に京都三条衣棚の法衣商十一屋伝兵衛富岡維叙の次男として生まれた。母は丹波国(兵庫県)氷上郡黒井村の荻野氏の女絹で、維叙の3度目の妻である。異母兄は敬憲のあった。十一屋は元禄の頃から続いた豪商で、三代目の以直の頃から新道や儒教、仏教を一緒にしたような町人道徳哲学を家学とし、鉄斎も幼い頃よりこれを学んでいた。
鉄斎は幼い頃より細身で華奢な体格であり、斜視であった。また幼いころの病気の後遺症で耳が聞こえずらかったようである。しかし、性格は豪胆で若い頃は短気で有名だった。このような豪快な性格と学問への興味が強くなり、幼くして神学の道を選び、少年の頃に家を出て西八条の六孫王神社に弟子入りする。

 

修業時代は儒学を学びながら、大角南耕と窪田雪鷹に画の手ほどきを受けていた。この2人は現在でも詳しい経歴などは分かっていないが、相当の手腕があったと見られ、当時の用語で南北合派と呼ばれる流派に属していた。この流派は南から北まで様々な画法で描くなど自由な立場で画の思考が出来る流派だったので、鉄斎は大和絵、琳派、浮世絵、大津絵などの手ほどきを受けたと思われる。このことが鉄斎の作品に後年まで影響していることは確かである。

 

鉄斎は大角南耕と窪田雪鷹の教えを受けていたが、その後は全くの独学で学んでいる。しかし、闇雲に描き続けるのではなく、鉄斎の画の追求は古い画法などを学び、描いて体得した上で自らの画法に応用していくようなやりかたであった。そして鉄斎は南画の小田海仙や大和絵の浮田一蕙など多くの画家から画論を聞き、自らの知識を広げていった。この先人や既存の手法を学び取ろうとする姿勢は、彼の幼少の時の勉学から来ていると考えられる。

 

鉄斎は幅広い画の知識を学ぶ傍らで、写生にも力を入れていた。日本全国の名勝を探って、簡単ながら多くの写生を残し、自宅では晩年まで庭先で写生を行っていた。また読書を好み、多くの本から学び、自らの人間性を高めることに勤しんでいた。彼は生涯で古今東西の書を数万冊読んだとも言われている。これほどの経験より鉄斎がただの画家ではなく文人画家と言われるに至るのである。

 

鉄斎が生涯に描いた作品は2万点程度だと推測されているが、28歳までの作品は今日でもほとんど発見されていない。彼の作品の転換期は長崎旅行の時である。それまでは師の画風に倣いながら描いていたが、2~3年の長崎旅行の後から画風が一変し、29歳の頃には完全に師の影響を脱し、自らの画を獲得しようとしている。30~40代にかけて作品数は増えていき、描き方は早い筆使いで線は針金のように細く、色彩は軽淡で文人趣味のものが多い。50代では筆の速さを抑え線の太さはたくましさを加え、重厚な作風に変わる。60代では明清画の研究が進み、一方で大和絵の大作をしきりに制作している。構図は大胆さが増し、時に失敗しても気にせず突き進んでいる。そして70代の半ばにようやく鉄斎の画法は完成される。その後、死に至る89歳まで彼の画は洗練され、誰にも真似できない領域へと昇っていく。

 

彼の完成形は水墨画でありながら油絵に迫る濃厚な趣を獲得した。あるいは墨の棒を使って自由な線の効果を狙った描き方をしている。この時点で既に日本画の領域を超えた独自の画風になっている。その中でも特質すべき点は彼の空間の追求にあると考える。画面に登場する岩や山は立体性の追求の末に、ジグザグの構図で描かれている。この構図が空間の奥行を表現しながら画面に緊張感を与える効果がある。また生まれつきの色彩感覚により若くして多彩な色使いを見せていたが、晩年になり更に洗練されている。
この様な鉄斎の画風はセザンヌやゴッホなどの画家たちとも共通点を見出せるとも言われている。この点に置いて、鉄斎が諸外国で人気が高い理由でもあると考えられる。

 

大正13年(1924年)大晦日、持病であった胆石症が悪化し、京都の自宅にて亡くなった。享年89歳であった。今日、鉄斎の残した作品は膨大な量に達するが、その更に何十倍もの偽物が出回っている。識者を持ってしても、本物の鉄斎の作品を見抜くのは至難の業である。

 


【作品一覧】
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『浪合神社図』 1875年 117.2cm×36.1cm

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『青緑山水図』 1890年 134.2cm×54.5cm 虎屋文庫蔵

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『蝦夷人図』 1892年 159cm×336cm

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『阿耨剃髪図』 1885~95年頃 131.8cm×41.8cm

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『蕉翁乗馬図』 1885~95年頃 127.6cm×50.5cm 清荒神清澄寺蔵

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『魚籃観音図』 1895~1905年頃 123.4cm×51.3cm 布施美術館蔵

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『富士山図』 1898年 各153cm×352.5cm 清荒神清澄寺蔵

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『乙宝寺縁起』 1895年 各115.7cm×51cm 乙宝寺蔵

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『源頼光討賊図』 1899年 126cm×49.7cm

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『盆踊図』 1895~1905年頃 各54.8cm×71.4cm 高島屋史料館蔵

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『梅椿図』 1908年 53.6cm×79.2cm 常盤山文庫蔵

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『江山招陰図』 1910年 138.8cm×65.5cm

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『阿弥陀仏像』 1905年 121.8cm×30cm

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『観世音菩薩像』 1920年 164.9cm×47.7cm

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『古柯頑石図』 1912年 121.7cm×40.4cm

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『始献牛乳図』 1905~15年頃 156.2cm×50.5cm 清荒神清澄寺蔵

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『夏景山水図』 1905~15年頃 124.5cm×60.7cm

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『長守富貴図』 1905~15年頃 109.8cm×42.7cm

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『迦哩迦尊者図』 1905~15年頃 120cm×99.2cm

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『竹石蘭芝図』 1905~15年頃 120cm×99.2cm

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『鵞図』 1915年 139.4cm×54.9cm

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『王元之竹楼記図』 1917年 169.8cm×70.8cm 清荒神清澄寺蔵

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『聚沙為塔図』 1917年 73.2cm×66cm

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『掃蕩俗塵図』 1917年 127.5cm×43.5cm

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『鐘馗嫁妹図』 1918年 19.5cm×57.9cm 清荒神清澄寺蔵

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『静坐息機図』 1921年 17.6cm×53cm 清荒神清澄寺蔵

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『三老吸酢図』 1918年 137.7cm×40.2cm 清荒神清澄寺蔵

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『双寿搗餅図』 1923年 129.5cm×33.2cm 清荒神清澄寺蔵

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『南極寿老星図』 1920年 132.5cm×52cm 清荒神清澄寺蔵

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『小黠大胆図』 1920年 29.8cm×22.5cm 東京国立近代美術館蔵

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『餐水喫霞図』 1920年 190.5cm×80.8cm 金剛峯寺蔵

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『渓居清適図』 1921年 145.8cm×40.3cm 清荒神清澄寺蔵

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『閨窓脩竹図』 1923年 130.6cm×31.8cm

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『阿倍仲麻呂明州望月図』 1914年 170.7cm×376cm

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『老松小図』 1921年 27.7cm×24.7cm

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『富而不驕図』 1924年 36.6cm×27cm 清荒神清澄寺蔵

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『布袋遊戯図』 1921年 130.4cm×31.5cm 清荒神清澄寺蔵

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『一休戯謔図』 1924年 108cm×33.8cm 布施美術館蔵

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『朱梅図』 1923年 150.4cm×40.1cm 清荒神清澄寺蔵

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『扶桑神境図』 1923年 164cm×49cm

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『古仏龕図』 1923年 149.7cm×39.8cm 清荒神清澄寺蔵

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『竹窓聴雨図』 1915~24年 179cm×112.8cm

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『陸羽茶癖図』 1924年 133.9cm×33.5cm 清荒神清澄寺蔵

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『蓬莱山図』 1924年 144.3cm×39.2cm

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『梅華書屋図』 1924年 145.6cm×40.1cm 清荒神清澄寺蔵

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『瀛洲僊境図』 1918年 142.7cm×40.1cm 清荒神清澄寺蔵

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艤槎図』 1924年

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仙縁奇遇図』 1919年

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二神会舞図

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旧蝦夷風俗図』 1896年 各166.5cm×183.6cm 東京国立博物館蔵

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『妙義山・瀞八丁図屏風』 1906年 布施美術館蔵