【写真】競馬場での復讐【ピューリッツァー賞】

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ホースト・ファース ミシェル・ローラン(AP通信 “競馬場での復讐(Torture Dacca)” 1972年 ニュース速報部門

1971年12月18日、新国家バングラディッシュの始まりを記念する行事が、ダッカ競馬場で行われた。数千人が集まる行事の最中、手を縛られた4人の囚人が拷問の上で処刑された。このような行為に至ったのは、次のような事情がある。
1947年、インドはイギリスの植民地から解放されたがある別の問題が発生した。イギリスから解放された土地にはインドとパキスタンの2つの国家が誕生したのである。更にパキスタンは東西に分離し、互いに緊迫した状況が続いていた。1971年3月、東パキスタンが西パキスタンからの分離を図る為、バングラディッシュと名乗り独立国家を誕生させ、このバングラディッシュの誕生の為には武力抗争も辞さない姿勢を示した。これより東西パキスタンの戦争は激化し、現行政府の西軍は東軍をねじ伏せた後に、東軍領地で大量虐殺を行ったのである。この虐殺で1千万人は難民としてインドに逃げ、100万人が殺害された。しかし、この後にインド政府が東軍のゲリラ組織ムクティ・バヒニを支援し形勢は東軍の方へ傾いた。12月17日、西パキスタンはインドと東パキスタンのゲリラ連合に降伏し、新国家バングラディッシュが建国されたのである。
カメラマンのホースト・ファースとミシェル・ローランはこの一連の戦争と虐殺を取材し、バングラディッシュの独立行事も写真に残すつもりであった。しかし、この虐殺の憎しみを抱えたバングラディッシュの民衆は怒りのままに西パキスタンの囚人を拷問したのである。最初は見せしめで行っているのだと思っていたファースとローランだったが、民衆の怒りは増幅し全く拷問をやめる気配はなかった。囚人は火に炙られ、顔をナイフで切られ、最後には民衆に踏み殺されたのである。この狂気の行事をカメラで撮影し、自分たちが巻き込まれぬよう急いでバングラディッシュを後にした。その後、カルカッタを経由し、ロンドンから配信された写真は戦争の恐ろしい結末を世界へ伝えた。

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