【写真】浅沼社会党委員長の暗殺【ピューリッツァー賞】

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長尾靖毎日新聞社 ”浅沼社会党委員長の暗殺(Assassination of Asanuma) 1961年

1960年、東京は学生運動の騒乱が続いていた。学生グループは大規模なデモを繰り返し、世間は混乱の中にいた。しかし、10月12日に事件は起きた。主要政党の議員が演説会を開き、日米安全保障条約を巡って討論が行われる予定であった。会場の日比谷公会堂には3000人もの関係者が集まり熱気を帯びていた。
毎日新聞の写真部に所属する長尾靖もこの討論を撮影する為に壇上の目の前を陣取っていた。同じく最前列には右翼の全学連の学生たちが陣取り、最初に登壇した社会党書記の浅沼稲次郎に野次を飛ばしていた。その時、檀上袖から学生服を着た若者・山口音矢が現れ、一目散に浅沼に突進していった。山口が手に持っていたのは日本刀であった。
長尾は目の前の事件を撮ろうとカメラを構え、山口が浅沼の腹部に刀を一度引き抜き、心臓目掛けで再度刀を構える瞬間を撮影した。浅沼は腹部と心臓を刺され病院に運ばれる途中で死亡した。山口は自決を試みたが、近くにいた警官に取り押さえられ逮捕された。警察は狂信的な右翼学生の山口を徹底的に調べ背後関係を明らかにすると公言したが、山口は単独犯であったと結論付けた。山口は11月2日に東京少年鑑別所で歯磨き粉ので壁に「天皇万歳」とメッセージを残して首つり自殺をした。
この事件の写真は朝日新聞からUPI通信に送られ、世界へと配信された。長尾はこの写真でその年のピュリッツァー賞を日本人で初めて受賞した。

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