歌川広重の『名所江戸百景』 全118枚

『名所江戸百景』(めいしょえどひゃっけい)は、浮世絵師の歌川広重が安政3年(1856年)2月から同5年(1858年)10月にかけて制作した連作浮世絵名所絵である。

 


春の部

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『名所江戸百景 日本橋雪晴』

初荷の魚介類を満載した舟が、魚河岸をめざして日本橋川を遡っている様子を情緒たっぷりに描き、両岸には問屋や倉庫が立ち並び、魚河岸の活気あふれる様子が描かれている。画面中央を横切る日本橋には大名行列の一行が見える。江戸の中心である日本橋と江戸城、そして富士山を一つの絵におさめた傑作と言える作品。

 

 

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『名所江戸百景 霞がせき』

霞が関は現在は国会議事堂があることで有名だが、元々は関所のある場所であった。霞が関の坂道の南側(画面右)は福岡藩黒田家の屋敷、北側(画面左)は広島藩浅野家の屋敷があった。作中では新春を祝う人々の往来が描かれており、中央には伊勢神宮に奉納する太神楽の一行が見える。背景には正月らしく凧が上がっている。

 

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『名所江戸百景 山下町日比谷外さくら田』

正月の山下町を銀座方面から見た図。山下町は、今の帝国ホテル横にあった山下町のこと。奥の塀の向こうに見えるのは、佐賀藩鍋島家の上屋敷で、赤い門の脇に立派な番所があり、藩主の格式の高さを知ることが出来る。景気よく凧が飛び交い、手前には羽子板と羽根が描かれているが、羽子板を打つ人々が画面手前に隠れるという面白い構図である。図のエリアは町人が多く住む場所だったので町娘が正月遊びに羽子板を楽しんでいるのかと想像させる。

 

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『名所江戸百景 永代橋佃しま』

名所江戸百景に複数ある夜景図のひとつで、永代橋は当時の隅田川にかかる江戸で最も長い橋。佃島の漁民は、毎年11月から3月までの寒い期間に、江戸時代に非常に好まれた白魚を獲り、幕府に納入していた。篝火(かがりび)がゆらゆらと燃え、水面にうつる風情ある光景は、江戸の風物詩のひとつとなっていた。

 

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『名所江戸百景 両国回向院元柳橋』

両国の回向院は明暦の大火(通称・振袖火事)の焼死者の供養の為に建立された。本図には回向院境内に組まれた相撲の櫓が描かれ、晴天興行を示す白の梵天が掲げられている。このような僅かな描写から相撲の取り組みまで連想させるのが広重の得意とするところである。

 

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『名所江戸百景 馬喰町初音の馬場』

現在の日本橋馬喰町一丁目の西北にあたる場所。初音の馬場は、初音神社の近くにあった江戸最古の馬場である。画面両側には柳が植えられており、中央では紺屋町のものと思われる染物が風に揺らいでいる。背景には火の見櫓や町並みが描かれて非常に見応えがある。

 

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『名所江戸百景 大てんま町木綿店』

名所江戸百景では大々的に人物が描かれることはないが、本作では二人の美人をメインに据えており珍しい作品である。後ろの店は「田端屋」、「升屋」、「嶋屋」と並んでいる。こういった長屋形式で店が並ぶのは大伝馬町の特徴であった。

 

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『名所江戸百景 するがてふ』

駿河町からの富士の眺めは江戸一番と言われていた。本図にも中央に富士山が堂々と鎮座しており、その下で町を行き交う人々が描かれている。人々が行き交う店は大阪から江戸へ出店し呉服商の頂点を極めた三井越後屋。町と富士の境を雲で隠して距離感を出しており山水画に似た部分も見られる一枚。

 

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『名所江戸百景 筋違内八ツ小路』

現在の千代田区神田須田町にあたり、日本橋からの道と本郷・下谷から神田方面に向かう道とが交差する地点。画面左下では大名行列の一行、その右には茶屋が見える。奥には立派な武家屋敷が描かれており、その横には辻番所がある。中央にたっぷりととられた広小路の空白が絶妙なバランスで画面を支配している。

 

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『名所江戸百景 神田明神曙之景』

 

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『名所江戸百景 上野清水堂不忍ノ池』

現在もな花見の名所である上野は、江戸一番の桜の名所だった。京都の清水寺を模倣した建てられた清水堂の上からは、不忍池、中島弁財天、本郷台地の大名屋敷を一望することが出来た。鮮やかな朱色と桜の桃色が美しく、画面左手には名物のぐるぐる松も描かれている。広重は、この松を拡大した「上野山内月のまつ」も描いている。

 

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『名所江戸百景 上野山した』

 

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『名所江戸百景 下谷広小路』

下谷の名前は、上野、湯島、本郷などの高台の下に位置していたことから名付けられた。広小路は1675年の明暦の大火の教訓から道幅を広くし、以降、町屋が整い、名産を売る店が立ち並んだ。右手に描かれた大きなお店は、現在の「上野松坂屋」。松坂屋の前をお揃いの傘をさして、上野の山にお花見に向かう女性の一行を描いている。

 

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『名所江戸百景 日暮里寺院の林泉』

 

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『名所江戸百景 日暮里諏訪の台』

 

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『名所江戸百景 千駄木団子坂花屋敷』

 

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『名所江戸百景 飛鳥山北の眺望』

 

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『名所江戸百景 王子稲荷の社』

 

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『名所江戸百景 王子音無川堰棣』

 

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『名所江戸百景 川口のわたし善光寺』

 

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『名所江戸百景 芝愛宕山』

 

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『名所江戸百景 広尾ふる川』

 

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『名所江戸百景 目黒千代か池』

 

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『名所江戸百景 目黒新富士』

 

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『名所江戸百景 目黒元不二』

 

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『名所江戸百景 八景坂鎧掛松』

 

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『名所江戸百景 蒲田の梅園』

 

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『名所江戸百景 品川御殿やま』

 

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『名所江戸百景 砂むら元八まん』

 

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『名所江戸百景 亀戸梅屋敷』

【絵画データ】
1857年作
大判錦絵
収蔵場所 山口県立萩美術館・浦上記念館(山口・萩)

亀戸梅屋敷は東京都江東区の亀戸天満宮の近くにあった個人の梅林で、梅の花が開く頃になると一般に開放され花見をする庶民で賑わった。特に「臥竜梅」は名木であり、この作品の中央に大きく描かれている。画面に収まり切らないほどに大きく梅を描くという大胆な構図は、画面の外まで伸びる枝花を想像させる。

 

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『名所江戸百景 吾嬬の森連理の梓』

 

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『名所江戸百景 柳しま』

 

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『名所江戸百景 四ツ木通用水引ふね』

 

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『名所江戸百景 真乳山山谷堀夜景』

 

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『名所江戸百景 隅田川水神の森真崎』

向島から隅田川の対岸の真崎と水神の森を望んだ風景。この水神は、水難、火難除けの神であり、船頭たちばかりでなく庶民の間でも厚い信仰を得ていた。真崎は、品川の御殿山や王子の飛鳥山と並ぶ桜の名所となっていた。全体に柔らかな色合いで、奥には筑波山も見える。手前には里桜が美しく咲き乱れ、春爛漫の景色である。

 

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『名所江戸百景 真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図』

「隅田川水神の森真崎」とは反対の方向から見た図で、共に「名所江戸百景」中の秀作とされている。真崎辺りは、荒川区南千住三丁目の白鬚橋のたもとにある朝日神明宮の周辺で、今の石浜神社になる。境内に名物の吉原豆腐の田楽屋が軒を並べていた。その一軒の甲子屋のそれは特に有名で、江戸名物料理のひとつに数えられていた。

 

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『名所江戸百景 墨田河橋場の渡かわら竈』

 

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『名所江戸百景 廓中東雲』

 

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『名所江戸百景 吾妻橋金龍山遠望』

 

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『名所江戸百景 せき口上水端はせを庵椿やま』

 

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『名所江戸百景 市ヶ谷八幡』

 

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『名所江戸百景 玉川堤の花』

 


夏の部

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『名所江戸百景 日本橋江戸ばし』

日本橋川の北岸には、江戸の台所魚河岸があり、仕入れたばかりの鰹を棒手振り(ぼてふり)が運ぶ様子を大胆な構図で描かれている。江戸時代の俳人、山口素堂が「目には青葉山ほととぎす初鰹」と詠んだように、江戸っ子は初物を好みんだ。江戸橋の奥にある白壁の蔵の遠景には朝日が見える。日本橋は「日の本(もと)の橋」から由来するとも言われている。

 

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『名所江戸百景 日本橋通一丁目略図』

この図の右手に描かれている店は、もと「白木屋」があったところで、現在はCOREDO(コレド)日本橋がある。白木屋の手前には、江戸時代に庶民がたいへん好んだ真桑瓜(まくわうり)を売っている農夫や、そば屋東喬庵の出前持ちが描かれている。画面中央の二重の傘をさした一団は、大道芸かっぽれの一行。

 

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『名所江戸百景 鎧の渡し小網町』

 

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『名所江戸百景 昌平橋聖堂神田川』

 

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『名所江戸百景 王子不動之滝』

 

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『名所江戸百景 赤坂桐畑』

 

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『名所江戸百景 赤坂桐畑雨中夕けい』

この図は、画面左にある落款が示しているように二代広重の作品。前景には、図のタイトルにもなっている桐畑が描かれている。画面奥に描かれた赤坂御門へと向かう坂道には、迫る夕暮れと激しく打ちつける雨で暗く煙る中、傘を差して坂を往来する人々のシルエットが見える。どんよりとした空の色が、冬の冷たい雨をより一層感じさせる。

 

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『名所江戸百景 増上寺塔赤羽根』

 

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『名所江戸百景 佃しま住吉の祭』

佃島にある住吉神社のお祭りの風景を描いた作品。画面中央にある氏子旗には「住吉大明神」と書かれ、横には「安政4年6月」と書かれているように、この祭りは6月に行われた。氏子旗の奥には、神輿を担ぐ裸の若衆連中によって海中まで担ぎ込まれている様子が、勇壮に描かれている。

 

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『名所江戸百景 深川萬年橋』

 

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『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』

印象派の画家として有名なゴッホが模写したことでもよく知られている。大橋は日本橋の浜町から深川六間堀の方にかかっていた橋で、幕府の御用船安宅丸の船蔵があったことから、安宅(あたけ)と呼ばれた。構図、色調、描写どれをとっても完璧な広重の傑作。にわかに降り出した夕立の様が、実に見事に描かれている。

 

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『名所江戸百景 両国橋大川ばた』

 

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『名所江戸百景 浅草川首尾の松御厩河岸』

 

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『名所江戸百景 駒形堂吾妻橋』

この図の左下隅に描かれているのが駒形堂。駒形堂の近くには材木屋が多くあり、図の右隅には、立てかけて貯木された木材が描かれている。五月雨で暗くなった空を一羽のホトトギスが叙情的に飛んでいる様子が見える。不思議な色合いの空に、紅の小旗が画面を引き締めている。江戸の情緒あふれる広重の風景画の傑作。

 

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『名所江戸百景 堀切の花菖蒲』

堀切は現在の向島の北に位置する。江戸時代、この辺りは土地が低く、隅田川の分流が流れる湿地帯で、花菖蒲の栽培に適した土地だった。江戸から舟で隅田川を渡って容易に行くことができたので、江戸市民にとって堀切は、散策を楽しむのに最適な場所になっていた。

 

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『名所江戸百景 亀戸天神境内』

天満宮には必ずある梅は、当然この境内にも見られたが、梅よりも「藤」の名所として知られていたのが亀戸天神だった。藤の奥に描かれている太鼓橋が画面の中で絶妙のバランスを取っている。本来ならば太鼓橋の下、空と同じ色のはずだが、初摺では間違えて藍色にしてしまったという作品。

 

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『名所江戸百景 逆井のわたし』

逆井の渡しは、本所にあり、江戸と下総の国境を渡しているところからその名が付けられたと言われている。のどかな田園風景にゆっくりと流れる中川を描いている。二艘の渡し船が行き違い、遠方には房総半島も見えている。広重独特の濃い藍色のボカシと白鷺の白さが美しく対比され、情感溢れる作品に仕上がっている。

 

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『名所江戸百景 深川八まん山ひらき』

 

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『名所江戸百景 中川口』

 

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『名所江戸百景 利根川ばらばらまつ』

利根川は、関東西北部の山々から流出する水を集め、関東の西北から東南に走り、銚子から太平洋へと注いでいる。全長322キロの流域面積は、日本最大の川。ばらばら松はどの辺りにあったのか詳しくわからないが、当時としてはかなり有名だったようである。左側のばらばら松と、その水辺の色が鮮やかで美しい。

 

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『名所江戸百景 八ツ見のはし』

 

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『名所江戸百景 水道橋駿河台』

画面を覆い尽くすかのように大きく大胆に描かれた一匹の鯉のぼり。広重ならではの抜群の構図力が光る作品。この図は本郷台地の方から見た駿河台で、端午の節句の日の風景を描いたもの。7歳以下の男児がいる家では、盛大にこの日をお祝いした。画面奥には富士がくっきりと姿を見せ、爽やかな五月晴れの一日であることがわかる。

 

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『名所江戸百景 角筈熊野十二社俗称十二そう』

 

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『名所江戸百景 糀町一丁目山王祭ねり込』

 

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『名所江戸百景 外桜田弁慶堀糀町』

 

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『名所江戸百景 みつまたわかれの淵』

 

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『名所江戸百景 浅草川大川端宮戸川』

 

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『名所江戸百景 綾瀬川鐘か淵』

 

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『名所江戸百景 五百羅漢さゞゐ堂』

 

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『名所江戸百景 深川三十三間堂』

 

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『名所江戸百景 はねたのわたし弁天の社』

 


秋の部

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『名所江戸百景 市中繁栄七夕祭』

7月7日の七夕祭の日の江戸の風景。江戸の空にたなびく七夕飾りが、江戸の町の平和を物語っている。西瓜、そろばん、大福帳、鯛など色とりどりの七夕飾りが風になびいている。前景の商家の白壁の蔵が映え、江戸城まで続く屋根のが、魚の鱗のように見える。はるか彼方には富士も見え、江戸の繁栄ぶりをうかがわせている。

 

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『名所江戸百景 大伝馬町ごふく店』

 

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『名所江戸百景 神田紺屋町』

同じ職種に属する職人たちは、一ヶ所に固まって住み、その職種を町名にした。この図は、染物の町・神田紺屋町の風景。源氏車や市松模様の浴衣地とともに、画面中央には広重や版元などの名前もさりげなく描かれている。

 

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『名所江戸百景 京橋竹がし』

日本橋と並び最も古く、擬宝珠のある欄干をもつ格式高い京橋の先には竹の問屋が並んでいた。正月飾り・七夕飾り・竹垣・竹細工など、現在で考えられないほどの需要が江戸にはあった。誇張ともいえるこの図は秋月に照らされた竹がしの風情を、印象的に捉えている。月明かりの情景は広重の最も得意とするところで詩情溢れる秀作である。

 

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『名所江戸百景 鉄砲洲稲荷橋湊神社』

 

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『名所江戸百景 鉄砲洲築地門跡』

 

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『名所江戸百景 芝神明増上寺』

 

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『名所江戸百景 金杉橋芝浦』

 

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『名所江戸百景 高輪うしまち』

寛永11年の増上寺、同13年牛込、市ヶ谷見附の工事に京都から牛車を呼び寄せた。都市づくりに必要な牛車は、そのまま江戸に残り、上高輪の野原に用地が与えられ、牛町と呼ばれていた。遠くに見える、お台場近くには大小の船が浮かび、中央には七色の虹がかかり、砂浜に捨てた西瓜の皮が色鮮やかで、雨後の爽やかさが伝わってくる。

 

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『名所江戸百景 月の岬』

 

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『名所江戸百景 品川すさき』

 

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『名所江戸百景 目黒爺々が茶屋』

 

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『名所江戸百景 紀ノ国坂赤坂溜池遠景』

 

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『名所江戸百景 四ッ谷内藤新宿』

 

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『名所江戸百景 井の頭の池弁天の社』

 

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『名所江戸百景 王子瀧の川』

 

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『名所江戸百景 上野山内月のまつ』

「上野清水堂不忍ノ池」にも描かれている、清水堂の真下、不忍池の中島弁財天に下りる石段の近くにこの松があった。まるで形が、月のような円形をしているところから、「月の松」と呼ばれた。画面いっぱいに月の松を描き、その円形の中に遠く本郷台の町並みを覗かせるという奇抜な構図をとっている。右下にあるのが中島弁財天。

 

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『名所江戸百景 猿わか町夜の景』

初荷の魚介類を満載した舟が、魚河岸をめざして日本橋川を遡っている様子を情緒たっぷりに描き、両岸には問屋や倉庫が立ち並び、魚河岸の活気あふれる様子が描かれている。画面中央を横切る日本橋には大名行列の一行が見える。江戸の中心である日本橋と江戸城、そして富士山を一つの絵におさめた傑作と言える作品。

 

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『名所江戸百景 請地秋葉の境内』

 

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『名所江戸百景 木母寺内川御前栽畑』

 

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『名所江戸百景 にい宿のわたし』

 

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『名所江戸百景 真間の紅葉手古那の社継はし』

「名所江戸百景」は、その名のとおり、江戸(東京都内)の名所を描いた風景画の人気シリーズだが、ここに描かれている真間は、現在の千葉県市川市にあたる。真間の手古那神社の近くには、紅葉の名所・弘法寺があり、作品の中央には、その弘法寺の継橋が描かれている。赤く色着いた楓の葉の奥には、房総半島の山々が見える。

 

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『名所江戸百景 鴻の台とね川風景』

 

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『名所江戸百景 堀江ねこざね』

 

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『名所江戸百景 小奈木川五本まつ』

 

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『名所江戸百景 両国花火』

隅田川を挟んで武蔵と下総の二国に架けられた橋ということで両国橋の名が付けられ、その界隈を両国と呼んだ。ここは江戸第一の繁華地として、見世物・芝居・辻講釈などに屋台店も並び、昼夜の遊興で賑わっていた。江戸時代、花火といえば両国橋近辺での納涼イベントとして有名で、群衆が押し寄せ通行を規制したほど。

 


冬の部

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『名所江戸百景 浅草金龍山』

この図は雪の浅草寺雷門から、山門と五重塔を望んだもの。「大はしあたけの夕立」と共に広重の代表作。堂塔の赤と緑が雪に映えて美しく、雷門をくぐり、浅草寺境内まで続く参道には雪がこんもりと積もっている。この雪の部分は空摺(からずり)という絵の具を付けずに摺る技法が用いられていて、積雪の量感が巧みに表現されている。

 

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『名所江戸百景 よし原日本堤』

日本堤の名は、山谷堀の両岸に二本の土手があったから日本堤(二本堤)とも、日本領国の大諸侯が台命により築いたから日本堤だとも、いろいろな説がありるが、夜の歓楽地・新吉原の通い道であったために、吉原堤友呼ばれていた。眼下に広がる賑やかな街とは対照的に、月が晧々と光る夕暮れの空には、雁が連なって渡っている。

 

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『名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣』

吉原で働く女性の控屋があったのが浅草田甫。遊女屋の窓の格子越しに、田んぼの畦道を、縁起物の熊手を担いで歩く数えきれない人々の行列が描かれている。格子窓から猫が外を眺めている。広重の作品の中では珍しく、哀愁に満ちた作品である。

 

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『名所江戸百景 蓑輪金杉三河しま』

 

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『名所江戸百景 千住の大はし』

 

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『名所江戸百景 小梅堤』

 

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『名所江戸百景 御厩河岸』

 

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『名所江戸百景 深川木場』

この図は「名所江戸百景」中の傑作の一つと言える。冬の寒さを感じさせるような配色が、決して重くなく、むしろ心地よく感じられるのは広重の芸術性の高さをうかがわせる。深々と雪が降りしきる中の木場の情景が情緒豊かに描かれている。画面手前の番傘には、版元「魚栄」に敬意を払い「魚」の文字が描かれている。

 

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『名所江戸百景 深川州崎十万坪』

深川は江戸時代に造成された埋め立て地で、深川八幡宮をはじめ岡場所ができ発展していった町で、その先には江戸湾を一望できる行楽地であった洲崎があり、初日の出や汐刈り月見などで四季折々賑わっていた。そのはずれにあった十万坪は広漠とした土地で人が生活できる場所ではなかった。画面上部に鷲が羽ばたく構図は、斬新で迫力のある秀作。

 

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『名所江戸百景 芝うらの風景』

 

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『名所江戸百景 南品川鮫洲海岸』

 

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『名所江戸百景 千束の池袈裟懸松』

 

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『名所江戸百景 目黒太鼓橋夕日の岡』

 

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『名所江戸百景 愛宕下薮小路』

 

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『名所江戸百景 虎の門外あふひ坂』

 

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『名所江戸百景 びくにはし雪中』

びくにばしは、現在の京橋の下を流れる京橋川にかかっていた。この図の手前左側に「山くじら」と書かれた看板が、雪景色の中に置かれている。「山くじら」とは、猪の肉のこと。向かいには、「○やき十三里」の看板がある。栗(九里)より(四里)美味い薩摩芋を丸焼きにして売っていたので「十三里」と洒落た店名が付けられていた。

 

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『名所江戸百景 高田の馬場』

 

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『名所江戸百景 高田姿見のはし俤の橋砂利場』

 

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『名所江戸百景 湯しま天神坂上眺望』

 

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『名所江戸百景 王子装束ゑの木大晦日の狐火』

 

毎年、大晦日の夜、社に近い榎の下に集まった狐は、ここで衣裳を整えて王子稲荷社に参上した。近在近郷の農家では、狐がともす狐火の量で、新年の豊凶を占った。寒空にきらめく星と榎の小枝は、雲母引き(きらびき)で表現されている。闇に包まれた森の木々の先には、わずかに緑が含ませてあり、間近に来ている春の息吹を感じさせる。

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