【写真】キャンパスでの死【ピューリッツァー賞】

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ジョン・ファイロ(フリーランス “キャンパスでの死(Kent State Tragedy)” 1971年 ニュース速報部門

1960年代の後半から続いた学生運動は70年代に入り、激しさを保ちながら最悪の状況を迎えてしまう。事件が起きる前の1970年4月30日にニクソン大統領がアメリカ軍のカンボジア侵攻を宣言した。この宣言により、全米の75大学で過激なデモが起き、150名の逮捕者を出す事態となった。
1970年5月4日、オハイオ州のケント大学で悲劇が起こった。学生のデモ隊は1000名に上り、大学のキャンパスで反対運動を行っていた。これに対応する為、州兵が出動し学生たちとの応戦が始まる。学生側は石などで抵抗し、州兵は催涙弾で威嚇しながらデモの解散を促した。
カメラマンのジョン・ファイロはケント大学の学生であり、デモ隊と州兵の対立を撮影しようとキャンパスに駆け付けた。双方は対峙しながら応戦しているとファイロの見ている前で銃弾を一発発砲した。最初は威嚇のための空砲かと思っていたが、銃口の先では金属の彫刻を貫通する銃弾が見えた。この発砲で数人の学生が倒れ、死傷した。目の前で起こったことを信じられなかったが、その現場でカメラを持っていたのはファイロだけであったので、彼はその状況をカメラに収めて、実習生として働いていたバレー・デイリーニュース社に向かった。そこからAP通信を経て全世界の配信された。写真が掲載された当時、この州兵の横暴を信じられない人々はでっちあげだと批判したが、詳細な情報が明らかになるにつれ、決定的な証拠写真として批判を覆すことになる。

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