『自画像』
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(Marie Élisabeth-Louise Vigée Le Brun, 1755年4月16日 – 1842年3月30日)は、フランス画家。18世紀で最も有名な女流画家であった。
【概要】
18世紀最も名声を得た女性画家ルブランは他の画家の様に早くからその画才を発揮していた。彼女は10代前半にはその技量を評価され、画家としての仕事をこなし、家計を支えていた。
ルブランは早くに父を亡くし、母は再婚していたが再婚相手の男とはソリが合わなかった。やがて21歳の時に画商ピエール・ルブランと結婚するが彼女の結婚生活も波乱であった。夫ピエールは非常に浪費家で、ルブランが稼いだ金を使い込んでしまう。一方でピエールは美術好きの有力者との交流があり、ルブランの売り込みに一役買っていたようでもある。しかし、結婚から18年後に離婚している。
彼女の画家としての大きな転機は24歳の時に訪れる。当時のルイ16世の妃マリー・アントワネットと出会ったのである。マリーとは同い年で意気投合し、彼女の肖像画を幾つも描くうちに女王お気に入りの画家としての地位を確立していったのである。その後、王立美術アカデミーの会員になるのだが、これも王女の後押しがあったからであった。
しかし、1789年の革命で王女が捕えられるとルブランも身の危険を感じパリから逃れヨーロッパ各地を転々とする生活を送る。ルブランの評判は各国に知れ渡っていたようで、亡命した各地で有力な人物から手厚い保護を受け、その名声が落ちることはなかった。
その後、革命の混乱が収まったパリへ帰り亡くなるまでパリの街で過ごした。ルブランは生涯で700点にものぼる作品を制作したと言われているが、彼女の筆の速さはもちろんだが、その人気ぶりで制作活動の障害がほとんどなかったことも一つの要因であろう。
【絵画データ】
1787年作
油彩・カンヴァス
275cm×215cm
収蔵場所 ヴェルサイユ宮殿美術館(フランス・ヴェルサイユ)
中央がマリー・アントワネットで左が長女、中央の抱かれている赤子が次男で後のルイ18世、右が長男である。家庭的で幸せそうな雰囲気だが、これは非常に評判が悪かったマリー・アントワネットのイメージアップの為に描かれたと言われている。
当時の女性画家は静物画などを描くことが多かったが、このような王族の絵を多く描くことで画家の出世街道を歩んで行ったのである。
『モスリンのシュミーズ・ドレスを着た王妃マリー・アントワネット』 1783年
『ポーランド王、スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ』 1797年